自然農法で地球を緑に! 今播けば
今播けば千年後には千年の森
千年後には千年の森
Argentina
Agricultura Natural & Céramica en Patagonia Nojo Mallin
Español
  1. 時子のパタゴニア便り
  2. 地球を緑に!
  3. エルボルソンニュース(西語)
最終更新日 2013/05/02
提供: ja.exchange-rates.org

のうじょう真人の由来

「パタゴニアに住もう!」と決めたのは、北海道道東での酪農実習の時でした。アルゼンチンに移住後、アルゼンチンパタゴニアのチュブット州、そしてリオネグロ州で土地を探しました。ようやくアンデス山脈の近くの小さな村にそれを見つけました。そこはリオネグロ州エルボルソン区の小さな村でした。その小さな山村の名前はMallín Ahogado(マジンアオガード)でした。

「Mallín」の意味はここのインディオの言葉で「湿地帯」、また「Ahogado」はスペイン語で「溺れた、息の詰まりそうな」という意味で、あまり良い印象の地名ではありませんでした。それでもその名を聞いたとき、「ここにしよう」と決めたのは、響きが気に入ったのと、福岡正信先生の「無(Ⅲ)自然農法」にある「真の人間(真人)作り」"に激しく感動していたからです。

 その中で先生は次のように述べておられます。

「人間の真の歓び、息吹、楽しみは自然の法悦であって、大自然の中にのみあって、大地を離れては存在しない。したがって、自然を離れた人間環境はなく、生活の基盤を農耕におかねばならぬのは当然であろう。また、すべての人々が、郷(むら)に帰って耕し、真人の里を作ってゆくことが、理想の村、社会、国家を作る道となるのである。」

 未だに止められない戦争、異常気象、環境問題とさまざまな問題が山積する現代で、「どのように生きるか」を考えた末、原点に還るつもりで自然農法による「半農半陶」を選び、僕達のこの農場を「のうじょう真人(まじん)」と名付けました。


自然農法とやきもの

「何故『自然農法とやきもの』なのか?」とよく聞かれます。答えは簡単です。自然農法を始めた僕たちの農場内に粘土の露頭があったからです。日本では焼き物を見たり、買ったりはしましたが自分たちで窯を作り、作品を焼いたことなどありませんでした。当然粘土探し、釉薬に使う石探しなど考えたこともありませんでした。

パタゴニアで自然農法を始めて驚いたことは全く何も収穫出来なかったことです。以前住んでいたブエノスアイレス州では小さいながらも収穫出来た野菜が採れない。これには困りました。当然やり方が悪いのだろうと、粘土団子の大きさを変えたり、蒔き時期を変えたり、粘土団子の粘土を変えたりとやってみましたがダメでした。

そして更に驚いたことに試しに大地を耕して、有機肥料を入れるいわゆる『有機農法』をすると採れなかった野菜たちが収穫出来たのです。これには参りました。それでも女房とも話し合い結局自然農法を選びました。なぜなら有機農法で収穫出来ても、緑は減ったからです。自然農法では野菜は採れなくても、緑は増えました。

そして今では確信しています。『自然農法とやきもの』は一体だと。それは福岡正信先生の「人知無用」と芳村俊一先生の「地球に学ぶ」は全く同じだと思うからです。ですからのうじょう真人は『自然農法とやきもの』で生きていこうと決めました。


田畑を拓かず、森林作る

田畑を作るのは食糧生産が目的です。言ってみれば自分の為です。ですから勝手に生えてくる「雑草」が邪魔に感じられるのです。野菜に着く昆虫を「害虫」として、駆除したくなるのです。野菜に病気が出れば、「バイ菌」が繁殖しているせいにして、消毒してしまうのです。しかし「雑草」、「害虫」そして「バイ菌」は人間が勝手に付けた名前です。自然を「弱肉強食」と考えるから、間違うのです。「共存共栄」が自然の姿です。それは森をみればわかります。野生動物、植物、そして土石までもが一緒に存在しています。「存在」と言うより「楽しんで」いるように見えます。しかも誰かが欠けてもいけないようです。


目に見えぬ二酸化炭素を減らすより、見える緑を増やしてく

森は「100年」単位では、足りません。千年経たなければ、本当の「森」とは呼べません。 「百年の森」では「美しい森」ではありません。南緯42度周辺のパタゴニアのアルゼンチン側とチリ側を比較すれば、すぐにわかります。前者は乾燥化が進み、後者は驚くほどの緑です。前者は「自然保護」を叫び、木の伐採を制限し、建築は購入資材を多く使います。後者は自然保護など全く気にせず、木を伐り、家を建てます。木は使ってみなければ、「百年」と「千年」の違いはわからないでしょう。


電動工具の使い手よりも鉋と鋸の職人目指す

木を伐るときはチェーンソーより昔ながらの鋸を使うようにしています。松は窯焚きや家の燃料として使うことが多いのでチェーンソーを使う時が多いですが、その他の木は鋸を使います。チェーンソーは早くどんどん仕事が進みます。しかし音がうるさい上に、切り口がバサバサです。一方鋸は時間がかかります。しかし木を伐っている時、鋸が出す音は実に好いものです。その上切り口はスカッとしていて本当に素晴らしい。同じ生き物として、木を伐る時は鋸を使うのが礼儀だと感じています。


効率よりも、楽しく生きる

農場では木を伐ったり、薪を割ったり、肉体労働をすることが多く、ここに来てくれた方たちにもやってもらいました。多くの場合薪割りは危なくて、見てられませんでした。「力」で薪を割ろうとします。また薪運びには、籠やロープなど、道具を使う傾向がありました。肉体労働は頭で考えず、力を抜いて行動する方が良いと思っています。体が勝手に動くなるようになるまでやってみる。そうすれば楽しさが感じられるようになり、「効率」の無意味さがわかってくると思います。


自給自足は単なるエゴ、エコは地球を緑に変える

僕たちの農場は「自給自足」を目指してはいません。「自給自足」を目指してしまうと、どうしても毎年毎年の収穫に追われ、本来の目標を見失ってしまうからです。「地球を緑に!」という目標の前では、自給自足は大事なことには思えません。しかも「自給自足」は人間だけの「思い上がり」ではないかと、最近思うようになりました。人間以外の動植物鉱物は「自給自足」の意識なしに目標を達成しつつ、尚且つ共存共栄までしてしていて、「当たり前」の顔をしています。彼らを見ていると、「自然に還る」ことが、「地球を緑に!」するのだと感じてきます。


本を読むなら、山歩く

動植物鉱物を「同胞」と思うことに抵抗を感じたら、それは本の読み過ぎです。きっと大地をアスファルトで覆い、コンクリートの家に住んで何も感じないことでしょう。外に出て歩いてみましょう。整備された公園を散策したり、近所の山に登ることをお勧めします。歩いてみれば、わかるでしょう。アスファルトの道は固く、野山の土は柔らかいことが。そして本の知識が増えれば、増えるほど、行動力が減るようです。試しに家にある、包丁を研いでみてください。本を読むより、遙かに面白く、タメになります。そして包丁研ぎが楽しくなった時には、本を読むことが減っていることでしょう。


有機で食べ物作るより、無為で勝手に食べ物出来る

パタゴニアでも有機農法が盛んです。ヨーロッパから移住してきた近所の友人たちもほとんど全員、家庭菜園を持ち、十分耕した土に、有機肥料をたっぷりいれ、大きな野菜を収穫しています。一方僕たちの農場は「雑草」と呼ばれる草たちが繁茂し、いたるところに松、りんご、ミズナラなどが勝手に生え出し、何所が畑かわからない有様です。しかし実は農業の基本は「無機物から有機物を生み出す。つまり、無から有を作り出すこと」ではないかと思っています。有機物で野菜、果物、家畜という有機物を育てるのは、意味がないと思っています。単に形が変わっただけで、何も生産していないように思えます。その点自然農法は違います。無から有を作り出すのです。


他人(ひと)の知識を増やすより、自分でやるから面白い

「無から有を作り出す」自然農法は原始に帰る農法ではありません。「自然に還る」農法です。またたとえ、原始に帰る農法でもいいじゃないですか。「やってみなければわからない」のです。原始時代が「貧しい、悲惨な」時代であったか、だれも知らないのです。「人間は進化する」という思い上がりの、いつもの間違いかもしれません。


地球に種を播くだけです。自分一人でも出来ます。是非あなたも播いてみてください。きっと何かがかわることでしょう。


参考文献

福岡正信「わら一本の革命」、「自然農法 無Ⅲ」、「自然に還る」、「粘土団子の旅」
芳村俊一「釉薬から見たやきもの」、「ダレでもできる自主陶芸」、「身近な土を焼く」
橋本敬三「万病を治せる妙療法 操体法」
岩城正夫「セルフメイドの世界」、「火をつくる」、「やってみなければわからない」
西岡常一「木に学べ」、「木のいのち、木のこころ(天)」、「蘇る薬師寺西塔」(高田好胤、青山茂共著、写真:寺岡房雄)
小川三夫「木のいのち、木のこころ(地)」
白鷹幸伯「鉄、千年のいのち」
かくまつとむ「木を読む(聞き書き)林以一(語り)」、「鍛冶屋の教え(横山祐弘職人ばなし)」
よしば和夫「自然味の職人たち」
奥村卓・大村益夫訳 「中国の思想 老子・列子」
陳舜臣「中国の歴史」
趙漢珪「土着微生物を活かす」
(敬称略、順不同)

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